孤独について
「孤独は、私の人生のテーマだ」と思ったことがあります。
それくらいずっと孤独と向き合ってきた…
というか、この孤独感をどうしてくれよう?と思いあぐねる日々でした。
人それぞれ、違った孤独のかたちがあると思いますが、私について話すと、私のこの孤独感の原因となっているのは、中学校時代の不登校の経験からだと思います。
40年近く前のことです。当時は不登校の子なんて学校に1人2人いるかいないかという状況だった。そんな中で私一人学校に行けないというのは、とても孤独でした。なぜ朝、具合が悪くなって学校に行きたくなくなるのか当然教師も母親も「どうして?」と訊いてきましたが、私にだってわからなかったんです。自分のことをわかってくれる人が自分も含めて一人もいなかった。それが最初の孤独の記憶。
もともと前にグイグイ出て、自己主張できるような子じゃありませんでした。黙って周囲を見渡して、人の表情から感情を読み取ったり、聞こえてくる音に注意を向けたり、その場の空気を読むのに忙しい子でした。傍からみたらボケーッとしているように見えたかもしれません。周りに合わせて、ニコニコしていたかもしれません。今思えば「普通の子」のふりをしていた。普通の子に擬態していたのでしょう。家に帰るとぐったりするのは大人になった今も変わりません。
だけど人が嫌いなわけじゃないのです。友達と会って話をするのは楽しいし誘われたら大喜びで出かけます。だけど自分からは誘えない。私の誘いなんて迷惑かなとか考えちゃう。自分からアクションを起こさないとみんな忙しいから忘れられます。忘れられるととっても寂しい(涙)自分のせいなのに(涙)
そう、孤独が苦しいのは寂しいから。寂しいという「痛み」を消したくて、コミュニティーに参加してみたり友達や恋人を作ろうとする。だけどそれも対処療法でしかなくて、孤独感が消えるわけじゃない。コミュニティーに入っても孤独、恋人を作っても孤独を感じたりしてまた苦しんだりする…
次に孤独を感じたのは結婚した時でした。
私は専業主婦になりたかったのです。大企業に勤める真面目な性格の夫にプロポーズされて、私の夢は叶いました。でも結婚生活が始まったら、家事なんてあっという間に終わってしまうし、とにかく暇で暇で。テレビでは「専業主婦は寄生虫」なんて言われていて、社会から取り残されたような、自分の存在意義を見失ったような気がして急に不安になりました。時間はたっぷりあるので、私は箱ティッシュを半分に切ったり、ジップロックを洗って再利用するような節約生活にハマり、100円のノートに家計簿をつけ始め、1円単位でお金の管理を始めました。当時は自分で仕事を作ることで何とか存在意義を保っていたような気がしています。
その次は、ワンオペ育児をしていた時。上の子が2歳の時に夫の単身赴任が決まりました。程なくして下の子が生まれ、その後夫の海外駐在が決まりました。赴任先は日本人のいない治安の悪い地域だったので私と子どもたちは日本に残ることにしました。
下の子が生まれてから、夫は私に触れなくなりました。セックスレスは15年続きました。
レスの何がいけないかって、女としての自信を失い、自己肯定感が地獄の底まで落ちること。30歳で、私は女として終わってしまった。夫は電話してくるのも数ヶ月に1度になり、数年会わないなんてことも普通になり、もはや私は、子どもの世話と家事をするだけの、ベビーシッターと家政婦としての価値しかないんだなと思いました。
孤独感とは社会的に孤立することへの恐れ
学校へ行けなくなりその理解者がいないことを知るとか、結婚で社会から切り離されたような気持ちになったり、ひとりで子どもを育てなきゃいけないプレッシャーを背負ったり、パートナーから必要とされなくなったりすると、人は本能的に恐れを感じます。ヒトは強い力もぶ厚い毛皮も、牙も速い脚も空飛ぶ翼も持っていません。動物としてはあまりにも弱い。だからこそ群れを作り、知能を発達させ、お互いに協力し合うことで何百万年と生き延びてきました。
現代でもその本能は沁みついていて、グループから孤立したり、パートナーとの繋がりを感じられなくなると孤独感を感じて精神的に不安定になるのは自然なことです。心の奥深くで、生存の危機を感じるのでしょう。大昔、グループから孤立することは死を意味することでしたから。
だから私が孤独感を感じたのも自然なこと。でもどうやったら孤独感がなくなるのか、孤独を感じないでいられるようになるのか、私はそれがわからなくて右往左往していたわけです。
でも現代は夜中に猛獣が襲ってくることもないし、食べるものも着るものも、ちょっと出かけたら手に入るし、世界中の人と交流できるSNSもあるし、孤独=死ではなくなりました。これだけ豊かになってまだ日が浅いから、人間の本能が追い付いていないんです。
ある時ね、とっても人気のあるカウンセラーさんが「僕も寂しがり屋でね」と仰っているのを聴いた時、驚いたのと同時に、少しほっとした感覚があったのです。
こんなに人気があって成功していて、家族仲も良さそうで仲間にも恵まれていて、私から見たら本当に幸せそうに見えてウラヤマシイ!と思うような人でも「寂しい」と感じることがあるんだ。そして「寂しがり屋」って言っちゃうんだ!と驚きました。同時に「こんなすごい人でも寂しさを感じているんだ」とも思いました。
もしかしたら、孤独感を感じている人ってこの世に沢山いるのかもしれない。きっといるでしょう。幸せそうにしている人でも心の奥に孤独感を隠し持っているのでしょう。なーんだ。私と同じじゃん。
そう思ったら、心がふっと、少しだけ、軽くなるのを感じました。
孤独なのは、私だけじゃない。みんな孤独なんだ。あのブッダだって「犀の角のようにただ独り歩め」と言っていたんだ。ブッダだって孤独だったんだ。なんだよ、みんな孤独仲間じゃん。
孤独を悪いものと考えるから「孤独にならないようにしよう」「孤独なのはダメだ」と感じて落ち着かなくなるのです。
孤独な時間というのは、自分と向き合う貴重な時間でもあります。自分に意識を向けて、自分の心の声を聞いてやり、自分の夢や希望に耳を傾け、どうやって実現しようか、自分とあれこれ相談したり、自分が少し疲れていると感じたら休ませてあげたり、自分がやりたいことをやらせてあげたり、自分が欲しいものを一緒に考えたりすることも出来る豊かな時間です。
私もまだまだ道の途中ですが、この孤独というものと上手に付き合っていこうと思っています。
人間独りで生まれて、独りで死んでいくものですから、独りがデフォルト、独りが普通なんです。







